栃の実菓子の店 菓子の梅安
日本の美しい四季を彩る山形・城下町鶴岡には、昔から伝わるお菓子の伝統や技術が
時を越えた今でも息づいております。
今に伝える鶴岡の菓子文化を皆様にお届けします。
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秋田から山形へ伝わる小豆粉菓子 庄内もろこし
  「秋田諸越」は、江戸時代中期に秋田藩主が臣下の労をねぎらうための煎米の菓子をつくらせたのが始まりで、その後煎米の粉末に砂糖を加えた菓子になり、そして、杉山寿山堂の初代杉山良作が地方特産の小豆の粉末を加えた小豆粉菓子に改良しました。そのお菓子を四代藩主佐竹義格公へ献上したところ、ことのほかお気に召し、「諸々の菓子を越えて美味」と賞賛されました。銘菓「秋田諸越」の名前は義格公の言葉に由来すると言われています。
  山形県庄内地方にも秋田から小豆粉を使ったお菓子が伝わりましたが、諸越という文字をあまり使わず諸公子、もろこし等と違う表記を用います。ここ山形県には秋田以外の東北の中では数多くの小豆粉菓子の商品があり、同じ出羽国であったからでしょうか、大変好まれています。
  それはさておき、庄内もろこしは焼きの香ばしさと、小豆粉の口どけの良さ、甘さが口の中を包みこんで、まろやかな口あたりのいい地域の美味しいお菓子になっております。
枝豆の王様が入ったお菓子 だだちゃ豆菓子
  昔、畑所である小真木という集落に住んでいた御殿の雇頭(御殿の庭の整備や墓所の掃除など御殿の用務員さん)五十嵐孝太という人物がおりました。孝太はある枝豆を改良して今までにないうまい枝豆を作ることに成功しました。そしてこんなうまいものを自分だけ食べるのはもったいないと思い、庄内藩のお殿様に差し上げる事にしました。殿様はこれを賞味してことの外お喜びになられ、殿のお付きの人にこう問いただされました「誰が作ったのか?」、そこでお付きの人は「小真木のだだちゃ(親父、家長の意味)が作ったのでございます」とお答え申し上げました。それ以来殿様は「小真木のだだちゃ豆を食いたい」としばしば言うようになり、それが広がって、今でも枝豆のことをだだちゃ豆と言うようになりました。その後五十嵐孝太は当時物凄く強かった太田という相撲取りに因んで、殿様から太田という姓を頂いたといいます。
  現在、だだちゃ豆を収穫する農家の人たちは全国に誇れる「枝豆の王様」なるようにと品質や種の保存に細かく注意を払いながら生産しています。その心を込めてつくり上げた美味しい枝豆が入るだだちゃ豆菓子をぜひご賞味下さい。